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大阪地方裁判所 昭和46年(行ウ)69号 判決

堺市宮山台三丁目六番五号

原告

志村孫蔵

右訴訟代理人弁護士

豊川義明

鈴木康隆

稲田堅太郎

右訴訟復代理人弁護士

佐藤欣哉

大阪市住吉区上住吉町一八一番地

被告

住吉税務暑長

坂元亮

右指定代理人検事

岡崎真喜次

右指定代理人法務事務官

大河原延房

右指定代理人大蔵事務官

山本喜文

岡本至功

新谷等

長田龍三

主文

一  被告が原告に対し昭和四四年二月一二日した各処分(ただし、昭和四六年六月八日裁決で一部取り消された後のもの)のうち次の部分をいずれも取り消す。

1  昭和四〇年分所得税の総所得金額を二、六五四、九三〇円とした更正処分のうち二、一一四、二七二円をこえる部分および右更正処分に附帯してされた過少申告加算税賦課決定処分のうち右二、一一四、二七二円をこえる部分に対応する部分

2  昭和四一年分所得税の総所得金額を二、七二八、五九五円とした更正処分のうち二、二七五、八三八円をこえる部分および右更正処分に附帯してされた過少申告加算税賦課決定処分のうち右二、二七五、八三八円をこえる部分に対応する部分

3  昭和四二年分所得税の総所得金額を二、四二四、六四〇円とした更正処分のうち一、六〇六、八七七円をこえる部分および右更正処分に附帯してされた過少申告加算税賦課決定処分のうち右一、六〇六、八七七円をこえる部分に対応する部分

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の申立て

一  原告の申立て

1  被告が原告に対し昭和四四年二月一二日した次の各処分(ただし、昭和四六年六月八日裁決で一部取り消された後のもの)をいずれも取り消す。

(一) 昭和四〇年分所得税の総所得金額を二、六五四、九三〇円とした更正処分のうち四七五、〇〇〇円をこえる部分および右更正処分に附帯してされた過少申告加算税賦課決定処分

(二) 昭和四一年分所得税の総所得金額を二、七二八、五九五円とした更正処分のうち八一〇、〇〇〇円をこえる部分および右更正処分に附帯してされた過少申告加算税賦課決定処分

(三) 昭和四二年分所得税の総所得金額を二、四二四、六四〇円とした更正処分のうち九〇〇、〇〇〇円をこえる部分および右更正処分に附帯してされた過少申告加算税賦課決定処分

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告の申立て

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  原告の請求の原因

1  原告は、被告に対し、昭和四〇年分ないし昭和四二年分(以下本件各係争年分という。)の総所得金額について別表第一、1記載のとおり確定申告をした。

2  被告は、昭和四四年二月一二日、本件各係争年分の総所得金額について別表第一、2記載のとおり更正し(以下本件各更正処分という。)、過少申告加算税を課した(以下本件各過少申告加算税賦課決定処分という。)。

3  訴外国税不服審判所長は、昭和四六年六月八日、裁決で、別表第一、3記載のとおり本件各更正処分および本件各過少申告加算税賦課決定処分の一部を変更し、その裁決書の謄本は昭和四六年六月一七日原告に送達された。

4  しかし、本件各更正処分および本件各過少申告加算税賦課決定処分は主として政治的な狙いをもつてされたものである。

すなわち、原告は、従来から取引関係の資料を保存することがなく、確定申告の手続についても無知であつたため、昭和四一年までは、住吉税務署の職員が事前に原告の取引先、取引銀行等を調査したうえ具体的な数字を記入して作成した確定申告書を提出するよう指導したので、これに従つて確定申告をしていた(その際、住吉税務署の職員は、原告に対し、この指導に従わないときは必ず更正処分および過少申告加算税賦課決定処分をするなどといつて、半ば脅迫している。)。

ところが、原告が昭和四二年住吉民主商工会に加入し、その申告指導に従つて、昭和四二年分の所得税の確定申告書を提出するや、被告は、昭和四二年分の総所得金額についてはもちろん、自ら指導して申告させた昭和四〇年分、昭和四一年分の各総所得金額についても、事実と相違するとして、本件各更正処分等をした。

当時、被告らが住吉民主商工会等各地区の民主商工会の会員のした自主申告について集中的に更正処分をしたことは衆知の事実であるが、本件各更正処分等もその一環としてされたものである。

これによつて明らかなように、本件各更正処分等は、被告が民主商工会を攻撃し破壊するためにされたものであつて、原告の結社の自由(憲法第二一条)を侵害し、法の下の平等(憲法第一四条)に反するばかりでなく、行政の適正手続の保障(憲法第三一条)にも悖るものである。

また、原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各総所得金額についてされた更正処分は信義誠実の原則ないし禁反言の原則にも違反するといわなければならない。

5  また、本件各更正処分および本件各過少申告加算税賦課決定処分は、被告が原告の本件各係争年分の総所得金額を過大に認定したためにされた違法なものである。

6  よつて、原告は本件各更正処分(ただし、昭和四六年六月八日裁決で一部取り消された後のもの)のうち申告にかかる各総所得金額をこえる部分および本件各過少申告加算税賦課決定処分(ただし、昭和四六年六月八日裁決で一部取り消された後のもの)の取消しを求める。

二  被告の答弁

1  原告の主張する請求原因事実第1、第2項はいずれも認める。

2  同第4、第5項はいずれも否認する。

三  被告の抗弁

1  原告は、雨具の縫製加工業を営む者である。

2  原告は、昭和四〇年分、昭和四一年分の各取引きについては右雨具縫製加工業に係る帳簿書類の備付け、記録、保存等をほとんどしておらず、わずかに被告(住吉税務署の職員)に対し見積書、請求書の一部を提示したのみであり、実額による総収入金額、必要経費についての申立てもしなかつた。

また、被告(住吉税務署の職員)は、原告の昭和四二年分の所得税の額を調査するため、昭和四三年一〇月一七日に原告方を訪れ、原告に対し、昭和四二年分の総所得金額を計算した根基およびその基礎となつた帳簿書類、証憑等の提示を求めたが、原告は「帳簿書類等はどこにあるのか判らない。」という申立てをした。そこで被告(住吉税務署の職員)は、原告に対し、帳簿書類等を捜すよう依頼し、その翌日およびその後も再三にわたり原告方へ赴いて督促したが、原告は帳簿書類等の提示はもとより被告(住吉税務署の職員)の質問に対しても具体的な返答をせず終始不誠実な態度を示した。

したがつて、被告は、一部について推計をして、本件各更正処分(および本件各過少申告加算税賦課決定処分)をせざるをえなかつたのである。

3  原告の本件各係争年分の総所得金額およびその内訳は別表第二(ただし、括弧内を除く )記載のとおりである。これを敷衍すると、

(一) 原告の本件各係争年分の収入金額は、(1)テラシン「株式会社」、「株式会社」丸福商会の場合、いわゆる「生地買い・製品売り」の取引形態をとるから、原告の売上額(納入製品代金)からテラシン「株式会社」ないし「株式会社」丸福商会の生地代金を控除(相殺)した金額をいい、(2)「株式会社」南海縫工所の場合、原告が「株式会社」南海縫工所から生地の支給を受けて裁断、加工し、その製品を納入するいわゆる「生地支給」の取引形態をとるから、原告の売上額(加工賃)をいう。

なお、原告の昭和四二年分の収入金額は五、九三一、三二七円であるが、このうちテラシン「株式会社」からの収入金額四、七三八、三二七円は原告の売上額(納入製品代金)一一、八七七、七六〇円からテラシン「株式会社」の生地代金七、〇〇三、九三〇円を控除(相殺)し、さらに原告が歩引きした金額一三五、五〇三円を控除したものである。

また、原告が昭和四二年分の収入金額についてした自白の撤回には異議がある。

(二) 原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各仕入金額は、原告の取引形態からすると仕入金額が収入金額に比例する傾向が顕著であり、しかも原告の右各年の営業状況が昭和四二年の営業状況と著しく異なるとはいえないので、別紙計算書(一)記載のとおり算出した。

なお、原告が昭和四二年分の仕入金額についてした自白の撤回には異議がある。

また、原告が主張する仕入金額の算出方法は、(1)仕入率の分母となるNG紳士用キヤリーコート一着当りの収入単価が信用できないこと、(2)仕入率の分子となる材料費は雨具ごとに使用する材料が異なるばかりでなく、その各単価がマージンを上積みした不正確なものであること、(3)糸、ゴム糊、テープ等は個々の製品と個別的に対応するものではなく、一般経費(消耗品費)として計上すべきであること等にかんがみると、全く合理性がないといわなければならない。

仮りに、糸、ゴム糊、テープを除く材料が必要であり、かつ、その単価が正確であるとしたうえ、原告の主張する方法に準じて仕入金額を算出したとしても、主要材料(フアスナー、ロツト釦、バツクル)の金額は六三〇、二九〇円であり、右主要材料の全材料費に占める割合は七五・二七パーセントに当たるから、全材料費(仕入金額)は八三七、三七三円となるにすぎない(糸、ゴム糊、テープを含めても一、一五二、四七八円となるにすぎない。)。

(三) 原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各「その他」の一般経費は、別紙計算書(二)記載のとおり算出した。

(四) 原告の本件各係争年分の雑収入は、いずれもいわゆる「出目」による収入である。

すなわち、原告と「株式会社」南海縫工所との取引はいわゆる「生地支給」形態をとるものであるから、原告はその技術と経験により支給された生地を効率よく裁断していわゆる「出目」を出し、少くとも出目生地の代金に相当する利益をあげることができる。

また、原告とテラシン「株式会社」ないし「株式会社」丸福商会との各取引きはいわゆる「生地買い・製品売り」の形態をとるものであるが、この場合にも同様に原告は少くとも出目生地に相当する利益をあげることができる。なぜならば、(1)原告はテラシン「株式会社」から同社に納入する製品の数量をあらかじめ定められており、しかも(2)テラシン「株式会社」は、顧客の信用を保持するため、原告との間で納入する製品一着当りの生地の用尺について取極めをし、その履行について重大な関心をもつていたから、その反面として、原告も取極めどおりの製品を納入しなければならなかつた。したがつて、原告がテラシン「株式会社」に対して取極められた数量をこえる数量の製品を納入することは取極められた品質の製品を製作していないこととなるので、結局、原告は出目生地によつて製作した雨具をテラシン「株式会社」に納入することができないからである。

そこで、被告は、原告の昭和四二年の出目による雑収入を原告の主張する納品数量に基づいて別紙計算書(三)、3記載のとおり算出し、昭和四〇年分、昭和四一年分の各雑収入は原告の右各年の営業状況が昭和四二年の営業状況と比較した場合著しく異なるとはいえないので、別紙計算書(三)、1、2各記載のとおり算出した。

なお、原告がテラシン「株式会社」に納入する雨具には普通サイズと肥満体サイズがあるとしても、肥満体サイズの数量は僅少であり、しかも肥満体サイズの雨具を製作する場合に出る出目生地が普通サイズの雨具を製作する場合に出る出目生地より少ないとはいえないから、右のように推計する場合、肥満体サイズの数量について格別の配慮を要しないのである。

また、原告が「株式会社」南海縫工所に納入する雨具にはスーパー型のほか着丈の長い児島型があるとしても、そのために「株式会社」南海縫工所ではそれに応じた用尺を見積つて生地を支給しているから、児島型の雨具を製作する場合に出る出目生地がスーパー型の雨具を製作する場合に出る出目生地より少ないということもできない。

さらに、「株式会社」南海縫工所が原告に支給する生地が富士ゴムの生地であるとしても、生地幅は各製造メーカーとも共通の規格に従うこととなつているから、その生地幅は藤倉ゴム等の生地の幅と異なるところはない。

(五) 原告の昭和四二年分の雇人費は別紙計算書(四)記載のとおり算出した(なお、原告が昭和四二年において訴外西浦美奈子を雇傭していた事実はない。)。

(六) 原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各特別経費は別紙計算書(五)記載のとおり算出した。

(七) 原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各不動産所得の金額は別表第二記載のとおりであつて、総収入金額もこれと同一であり、これから控除すべき必要経費はない。このことは、(1)原告が大阪国税局長に対して審査請求をしたとき自ら右各金額を不動産所得の金額と認めていたこと、(2)当該不動産を賃借していたピーシー橋梁「株式会社」は原告方へ賃料を持参していたから集金費はかからず、しかも当該土地の上に格別の物件が存しなかつたのであるから、原告は当該不動産を維持するためにとりたてて費用等を支出する必要がなかつたこと等に照らしても明らかである。

四  原告の答弁

1  被告の主張する抗弁事実第1項は認める。

2  原告の本件各係争年分の総所得金額およびその内訳は別表第二、括弧内記載のとおりである。

これを敷衍すると、

(一) 被告の主張する抗弁事実第3項、(一)の前段は認める。したがつて、原告の昭和四二年分の収入金額は、(1)「株式会社」南海縫工所に対する売上額(加工賃)一、一八七、一〇〇円と(2)テラシン「株式会社」に対する平均収入単価(個々の取引きの平均売上額から通常使用される生地代金を控除したものの平均)に納品した数量を乗じて得た額四、二六五、八三四円との合計額五、四五二、九三四円であり、仮にそうでないとしても、(1)「株式会社」南海縫工所に対する売上額(加工賃)一、一八七、一〇〇円と(2)テラシン「株式会社」に対する総売上額一一、八六三、七〇五円から、総生地代および歩引き分七、四三九、九七三円を控除した残額四、四二三、七三二円との合計額五、六一〇、八三二円となる。

なお、原告は当初、昭和四二年分の収入金額が五、九三一、三二七円であるという被告の主張を認めたが、右自白は撤回する。

(二) 原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各仕入金額は、いずれも、被告の主張する計算方法に従い、右各年分の収入金額に原告の主張する昭和四二年分の仕入率(昭和四二年分の収入金額で同年分の仕入金額を除したもの)を乗じて算出したものである。

そして、原告の昭和四二年分の仕入金額についても仕入れにかかる取引きを記載した帳簿書類等は存在しないから、これについても合理的な方法によつて推計するほかないところ、原告が製作する雨具のうち代表的なものはNG紳士用キヤリーコートであり、NG紳士用キヤリーコート一着を製作するために必要な材料費は別紙計算書(六)記載のとおり合計一二八円である。(もつとも、原告はテラシン「株式会社」に対して材料費(附属品代)として別紙計算書(六)、1ないし7の材料費のみを請求しており、8ないし10の材料費は請求していない。また、材料費(附属品代)を算出する際、実際の仕入金額の端数を切り上げる等若干上積みをしたところもあるが、それは縫製加工の過程でロス(破損、紛失、失敗)が生じることが屡々あるのでその一部を含めたためであり、マージンを計上したものではない。)。

そして、NG紳士用キヤリーコート一着当りの収入単価は三七四円である。

そうすると、原告の昭和四二年分の仕入金額は別紙計算書(七)記載のとおり、一、八六四、九〇三円となる。

仮にそうでないとしても、原告の昭和四二年分の仕入金額は別紙計算書(八)記載のとおり一、六一八、一二二円となる。

なお、原告は、当初、昭和四二年分の仕入金額が一、〇四八、二六〇円であるという被告の主張を認めたが、右自白は撤回する。

(三) 原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各「その他」の一般経費は、いずれも、被告の主張する計算方法に従い、右各年分の収入金額に原告の主張する昭和四二年分の「その他」の一般経費率(昭和四二年分の収入金額で同年分の「その他」の一般経費を除したもの)を乗じて算出したものである。

(四) 原告は、昭和四〇年ないし昭和四二年において、「出目」による収入を得たことはない。

まず、原告とテラシン「株式会社」、「株式会社」丸福商会との各取引きについてみると、右各取引きはいわゆる「生地買い・製品売り」によるものであるから、原告が(右各取引先から買い取つた生地でできるかぎり多数の雨具を製作することは当然であるとしても)製作した雨具を当該生地を買い受けた右各取引先に売り渡さず、それ以外の者に売り渡すためには、それによつて原告が特別の利益を得られるという事情が存在しなければならないところ、そのような事情は存在しないばかりでなく、かえつて右各取引先の信用を失うおそれすら存在するのである。しかも、原告がテラシン「株式会社」に納入している製品は「株式会社」南海縫工所に納入している製品と比較すると胴回り、ズボンの大きさ、着丈が異なり、一着当り少くとも〇・三メートル余分の生地を必要とするうえ、共生地で製品を入れるケースを製作するから、出目生地が出ることは全くない。

つぎに、原告と「株式会社」南海縫工所との取引きについてみると、右取引きはいわゆる「生地支給」によるものであるから、論理的には原告が出目生地を出すことによつて特別の利益を得ることができるという余地がある。しかし、(1)昭和四〇年ないし昭和四二年当時原告が「株式会社」南海縫工所から支給されていた生地は富士ゴムの生地(生地幅一一五センチメートル)であり、藤倉ゴムの生地(生地輻一一八センチメートル)を使用する場合と比較すると一着当り約一〇センチメートル余分の生地を必要としたこと、(2)昭和四二年原告が「株式会社」南海縫工所に納入した製品はスーパー型一、〇五一着、児島型一、一三九着、吉野型四四八着、合計二、六三八着であるが、このうち児島型はスーパー型より上衣、ズボンとも着丈が三センチメートルずつ長いため合計約一〇センチメートル余分の生地を必要とすること、(3)「株式会社」南海縫工所は原告に対し雨具を入れるケースを製作するため残り生地を返還するように求めていたこと、(4)西日本ではほとんどのメーカーが鉄紺色の生地を使用しているのに、原告が「株式会社」南海縫工所から支給されていた生地は紺色および鉄色であつたから、たとえ原告が出目生地を出したとしても、これによつて製作した雨具を他のメーカーに売り渡すことができないこと等にかんがみると、原告が出目生地を出していなかつたことは明白である。

(五) 被告の主張する抗弁事実第3項、(五)(ただし、訴外西浦美奈子に関する部分を除く。)は認める。原告は訴外西浦美奈子を昭和四二年一月から九月まで雇傭し、合計一八八、二五〇円を支払つた。したがつて、原告の昭和四二年分の雇人費は合計九九四、二五〇円となる。

なお、原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各特別経費は、いずれも、被告の主張する計算方法に従い、右各年分の収入金額に原告の主張する昭和四二年分の特別経費率(昭和四二年分の収入金額で同年分の特別経費(ただし、次男志村隆に対して支払つた雇人費四二〇、〇〇〇円を控除したもの)を除したもの)を乗じて算出したものである。

(六) 原告の昭和四〇年、昭和四一年中の各不動産所得にかかる総収入金額が、被告の主張するとおり、それぞれ三六四、〇〇〇円、六〇、〇〇〇円であることは認める。

しかし、不動産所得の金額を算出するには、右総収入金額から必要経費(固定資産税等公租公課、減価償却費、維持費、集金費等・別表第二括弧内にαで示したもの。)を控除しなければならないところ、右必要経費が総収入金額の二割をこえることは経験則上明らかである。

第三証拠

一  原告

1  甲第一号証の一、二、第二ないし第五号証、第六号証の一、二、第七号証、第八号証の一、二を提出した。

2  証人志村隆の証言(第一、第二回)を援用した。

3  乙第四号証、第二〇号証、第二八号証の一ないし八、第二九号証の一ないし六の各成立は知らないが、その余の乙号各証の成立は認めると述べた。

4  なお、被告は、原告の申請した証人志村隆の尋問が二回とも終了し、本件口頭弁論が終結される直前である第二三回口頭弁論期日(昭和五一年六月一一日)になつて、従前そのような証拠を所持していないことを何度も原告に言明しておきながら、乙第二二号証の一、二、第二三ないし第二五号証を提出した。このような証拠の提出は時機に後れた防禦方法というべきであるから却下されるべきである。

二  被告

1  乙第一号証、第二号証の一、二、第三、第四号証、第五、第六号証の各一、二、第七ないし第二一号証、第二二号証の一、二、第二三ないし第二五号証、第二六号証の一、二、第二七号証、第二八号証の一ないし八、第二九号証の一ないし六を提出した。

2  証人二宮精四郎、同北坂政之の各証言を援用した。

3  甲第一号証の一、二の各成立は認めるが、その余の甲号各証の成立は知らないと述べた。

4  なお、被告が証人志村隆の尋問が二回とも終了した後である第二三回口頭弁論期日(昭和五一年六月一一日)において乙第二二号証の一、二、第二三ないし第二五号証を提出したのは、原告が、従来、昭和四二年分の収入金額、仕入金額等について自白していたにもかかわらず、第二二回口頭弁論期日(昭和五一年四月二日)において、それまで紛失していた新たな証拠が発見されたと称して、甲第三ないし第五号証、第六号証の一、二、第七号証、第八号証の一、二を提出し、さらに証人志村隆もこれに沿うような供述をしたので、被告において右自白が撤回され(その後陳述された原告の昭和五一年八月二〇日付準備書面参照)、右収入金額、仕入金額等について立証する必要が生じたと考えたためである。

理由

一  原告の主張する請求原因事実第1、第2項はいずれも当事者間に争いがなく、同第3項は被告の明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなす。

そして、被告の主張する抗弁事実第1項は原告の認めるところである。

二  原告は本件各更正処分および本件各過少申告加算税賦課決定処分が主として政治的な狙いをもつてされたものであり、憲法第二一条、第一四条、第三一条に違反し、また、原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各総所得金額についてされた更正処分は信義誠実の原則ないし禁反言の原則にも反すると主張する。

右一で認定した事実に成立に争いのない乙第一七、第一八号証、証人志村隆の証言(第二回)ならびに弁論の全趣旨を併せ考えると、次の事実が認められる。

1  原告(ないしその次男志村隆。以下第3項まで同じ。)は、従来から雨具の縫製加工業に関して帳簿書類の備付け、記録、保存をほとんどしておらず、所得税の確定申告についての知識も乏しかつたため、もつぱらその住所地(大阪市住吉区長居町中三丁目六九番地)の所轄税務署である住吉税務署の職員の指導するところに従つて確定申告書を提出していた。

2  したがつて、昭和四〇年分、昭和四一年分の各所得税の確定申告書も、住吉税務署の職員杉本某が事前に原告の営業の状況、取引先、取引銀行等について調査をしたうえ確定申告書の用紙に必要な事項を記載し、原告がこれに押印して作成したものであり、原告は、このようにして作成した所得税の確定申告書を昭和四〇年分のものについては昭和四一年二月二八日、昭和四一年分のものについては昭和四二年三月六日、それぞれ被告に提出した。

そのため、原告は、右各確定申告をした際、被告がこれについて更正することはなく、右各確定申告にかかる所得税の額を納付すれば足りると即断した。

3  その後、原告は、住吉民主商工会に加入し、その申告指導に従つて、自ら昭和四二年分の所得税の確定申告書を作成し、これを被告に対し提出した。

4  そして、被告は、原告に対し、昭和四四年二月一二日、本件各更正処分および本件各過少申告加算税賦課決定処分をした。

右各事実によれば、住吉税務署の職員のした行為はいずれもいわゆる「行政指導」として許される範囲内のものであり、また、被告は、本来課税すべきものであるとして本件各更正処分および本件各過少申告加算税賦課決定処分をしたにすぎないことが窺われ、それ以上原告の主張するような他事考慮に当たる事実等を認めるに足りる証拠はない(なお、証人志村隆の証言(第二回)によれば、住吉税務署の職員杉本某が原告に対して指導した金額を下まわる金額の確定申告をしたときは調査をする旨述べたことが認められるが、右発言も国税通則法第二四条の趣旨に従つたものにすぎず、その範囲を逸脱するものではないと考えられるから、これをもつて違法なものということはできない。)。

よつて、原告の前記各主張は採用しない。

三  そこで、原告の本件各係争年分の総所得金額について判断する。

原告の本件各係争年分の事業所得にかかる収入金額は、(1)原告とテラシン「株式会社」ないし「株式会社」丸福商会との各取引きはいわゆる「生地買い・製品売り」の形態をとるから、この場合原告の売上額(納入製品代金)からテラシン「株式会社」ないし「株式会社」丸福商会の生地代金を控除(相殺)した金額となり、(2)原告と「株式会社」南海縫工所との取引きはいわゆる「生地支給」の形態をとるから、この場合、原告の売上額(加工賃)となることは当事者間に争いがない。(昭和四〇年分、昭和四一年分の各収入金額について)

原告の昭和四〇年分の収入金額が五、〇六六、三二一円であり、昭和四一年分の収入金額が七、〇三一、五八五円であることは当事者間に争いがない。

(昭和四二年分の収入金額について)

原告は当初昭和四二年分の収入金額が五、九三一、三二七円であるという被告の主張を認めたが右自白を撤回すると述べ、被告は右自白の撤回について異議があると述べる。しかし、本件訴訟において、原告の昭和四二年分の収入金額は主要事実ではないから、原告が当初の主張を自由に変更できることは当然である。

1  テラシン「株式会社」からの収入金額

(一) 原告の売上額(納入製品代金)

成立に争いのない乙第二二号証の一、証人志村隆の証言(第二回)によつて真正に成立したと認められる甲第三号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる乙第二八号証の一ないし八、証人志村隆の証言(第二回)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、原告の昭和四二年分のテラシン「株式会社」に対する売上額(納入製品代金)は合計一一、八七七、七六〇円となる(甲第三号証(納品書控え)と乙第二八号証の一ないし八(仕入元帳)およびこれに基づいて作成された乙第二二号証の一はほぼ符号し、その一部に相違するところがあることは明らかであるが、甲第三号証のうちには別表第三、(一)に記載したような比較的単純な計算上の誤りがみられるうえ、別表第三、(二)に記載したように計上もれとなつているものもあるから、乙第二八号証の一ないし八およびこれに基づいて作成された乙第二二号証の一を信用すべきである。したがつて、別表第三、(三)に記載したように甲第三号証と乙第二八号証の一ないし八とで金額の相違するものについては、いずれも、後者を採用すべきこととなる。)。

なお、原告は被告が提出した乙第二二号証の一、二、第二三ないし第二五号証は時機に後れた防禦方法であるから却下されるべきであるという。たしかに、右各乙号証は、原告の昭和四二年分の収入金額および仕入金額を立証する文書であり、しかも原告本人尋問に代わる証人志村隆の尋問(第一、第二回)がされる前に提出できたにもかかわらず、第二三回口答弁論期日(昭和五一年六月一一日)に至つてはじめて提出されたものである。しかし、被告が原告に対しそのような書証を所持していない旨言明したことを窺わせる証拠はないうえ、被告が右各乙号証を提出したのは、原告が第二二回口答弁論期日(昭和五一年四月二日)において、従来紛失していた証拠資料であるとして、収入金額を立証する納品書控え(甲第三、第四号証)、請求書(甲第六号証の一、二)およびこれらに基づいて作成した計算書(甲第五号証)ならびに仕入金額を立証する請求書(第第七号証)、現金売上伝票(甲第八号証の一)、領収書(甲第八号証の二)を提出したばかりでなく、これらについて前記証人志村隆が詳細な証言をした(なお、原告は第二四回口頭弁論期日(昭和五一年八月二〇日)において原告の昭和四二年分の収入金額、仕入金額についての従前の主張を変更している。)ためであつて、右各乙号証の提出が「時機に後れた」防禦方法であるということは到底できない。したがつて、原告の前記主張は採用しない。

(二) テラシン「株式会社」の生地代金

成立に争いのない乙第二二号証の二、弁論の全趣旨およびこれによつて真正に成立したと認められる乙第二九号証の一ないし六によれば、テラシン「株式会社」の昭和四二年における原告に対する生地代金は、合計七、〇〇三、九三〇円であると認められる(もつとも、右乙第二九号証の一ないし六によれば、テラシン「株式会社」の昭和四二年における原告に対する生地代金は本来合計七、六三八、四八六円となるが、テラシン「株式会社」が原告に対し昭和四二年三月末日一八〇、三三二円、同年五月末日四二一、二七二円、同年八月末日三二、九五二円をそれぞれ値引きしたものとして取り扱うべきことは右各乙号証から明らかである。)。

(三) 原告の歩引き(債務の免除)

原告がテラシン「株式会社」に対する売上額(納入製品代金)一一、八七七、七六〇円のうち一三五、五〇三円について歩引き(債務の免除)をしたことは被告が自ら認めるところである。

(四) そうすると、原告の昭和四二年におけるテラシン「株式会社」からの収入金額が四、七三八、三二七円となることは計算上明らかである。

2  「株式会社」南海縫工所からの収入金額

成立に争いのない乙第二三号証、証人志村隆の証言(第二回)によつて真正に成立したと認められる甲第四、第五号証によれば、原告の昭和四二年における「株式会社」南海縫工所からの収入金額が一、一九三、〇〇〇円となることは明らかである(なお、右甲第五号証には原告が「株式会社」南海縫工所に対し昭和四二年六月一五日納入したメツシユ裏地代金四、五六〇円および同年同月二七日納入した裏地代金四、九四〇円、合計九、五〇〇円の記載が脱落している。)。

そうすると、原告の昭和四二年分の収入金額は五、九三一、三二七円となる。

四  つぎに、仕入金額について判断する。

(昭和四二年分の仕入金額について)

原告は当初昭和四二年分の仕入金額が一、〇四八、二六〇円であるという被告の主張を認めたが右自白を撤回すると述べ、被告は右自白の撤回について異議があると述べる。しかし、本件訴訟において原告の昭和四二年分の仕入金額は主要事実ではないから、原告が当初の主張を自由に変更できることは、原告の昭和四二年分の収入金額について判示したのと同様である。

成立に争いのない乙第一号証、第二号証の一、二、第九ないし第一二号証、第二四、第二五号証、証人志村隆の証言(第二回)によつて真正に成立したと認められる甲第三ないし第五号証、第七号証、第八号証の一、二、証人志村隆の証言(第一、二回)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告は、国税不服審判所長に対し、原告の昭和四二年分の総所得金額についてされた更正処分および過少申告加算税賦課決定処分(異議申立棄却決定を経た後のもの)が不服であるとして審査請求をし、昭和四五年七月一六日、その証拠書類である乙第九号証を提出したが、右乙第九号証には同年分の仕入金額として一、〇四八、二六〇円(なお、同年分の収入金額として五、三一〇、八一四円)と記載されていた。

2  そもそも原告の仕入金額は、前項で判示した生地代金が除外されるので附属品等の材料代金からなるが、一着の雨具を製作するために必要な附属品(別紙計算書(六)、1ないし7参照)の種類、数量、金額は製作する雨具の種類によつてそれぞれ相当異なる(たとえば、テラシン「株式会社」に納入する紳士用レインコートの一着当りの附属品代金は四〇円、NGタフコート上下の一着当りの附属品代金は五八円、NG紳士用キヤリーコートの一着当りの附属品代金は九三円であり、「株式会社」南海縫工所に納入するスーパー型雨衣上下一着当りの附属品代金は九三円であり、「株式会社」丸福商会に納入する雨衣の一着当りの附属品代金は約一〇〇円である。)。

3  そして、一着の雨具を製作するためには右附属品のほか若干の糸、ゴム糊(これを溶かす揮発油を含む。)、テープ等(別紙計算書(六)、7ないし9参照)を必要とするが、その種類、数量、金額は製作する雨具の種類によつてさほど左右されない。

4  一般に、雨具を縫製、加工する過程においては附属品のロス(破損、紛失、失敗)が生じるが、これを外注先に委ねるときは附属品についてさらに余分の数量を見積る必要がある。

以上の事実によれば、一の種類の雨具(たとえば、NG紳士用キヤリーコート)の附属品代金をもつて他の種類の雨具の附属品代金を推し量ることが適当でないことは明らかであり、しかも、本件全証拠によつても糸、ゴム糊(揮発油を含む。)、テープの合計代金が一着当りいくらか(この点に関する証人志村隆の証言(第一、第二回)は経験則に照らし採用しない。)、附属品のロスがどの程度生じるのか、また、原告が外注先をどの程度利用し、これによつて附属品の代金がどれだけ増加したのか等についてこれを認めるに足りないのである。

そうすると、原告の昭和四二年分の仕入金額を原告の主張する方法で算定することはできないというべきであり、かえつて(原告の昭和四二年分の仕入金額が一、〇四八、二六〇円であるという審査請求の段階における原告の主張が、原告の昭和四二年分の収入金額が前項で認定した五、九三一、三二七円よりも六二〇、五一三円少い五、三一〇、八一四円であるという主張とともにされたことにかんがみると)右一、〇四八、二六〇円をもつて原告の昭和四二年分の仕入金額とみるを相当とするのである。

(昭和四〇年分、昭和四一年分の各仕入金額について)

原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各仕入金額は、右各年分の収入金額に昭和四二年分の仕入率(昭和四二年分の収入金額で同年分の仕入金額を除したもの)を乗じて算出されるべきものであることは当事者間に争いがない。

そうすると、原告の右各年分の仕入金額は次のとおりとなる(別紙計算書(一)参照。なお、右計算書の商は誤りである。)。

昭和四〇年分の仕入金額 八九五、三八五円

昭和四一年分の仕入金額 一、二四二、七一二円

(いずれも円以下四捨五入。以下同じ。)

五  さらに、一般経費について判断する。

(昭和四二年分の一般経費について)

原告の昭和四二年分の一般経費が四五一、〇七〇円(内訳公租公課三九、五〇〇円、「その他」四一一、五七〇円)であることは当事者間に争いがない。

(昭和四〇年分、昭和四一年分の各一般経費について)

原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各公租公課がそれぞれ八、〇〇〇円、一三、五〇〇円であることは当事者間に争いがない。

そして、原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各「その他」の一般経費は、右各年分の収入金額に昭和四二年分の「その他」の一般経費率(昭和四二年分の収入金額で同年分の「その他」の一般経費を除したもの)を乗じて算出されるべきものであることも当事者間に争いがない。

そうすると、原告の右各年分の「その他」の一般経費は次のとおりとなる(別紙計算書(二)参照。なお、右計算書の商は誤りである。)。

昭和四〇年分の「その他」の一般経費三五一、五四八円

昭和四一年分の「その他」の一般経費四八七、九一六円

以上によれば、原告の昭和四〇年分の一般経費が三五九、五四八円であり、昭和四一年分の一般経費が五〇一、四一六円であることは計算上明らかである。

六  そこで、原告の本件各係争年分の雑収入について検討する。

1  原告とテラシン「株式会社」ないし「株式会社」丸福商会との各取引きがいわゆる「生地買い・製品売り」の形態をとるものであることは当事者間に争いがない。

このような取引形態の場合、原告がいつたん買い取つた生地から格別の技術または手間を要しない範囲内でできうるかぎり多数の雨具を製作しようとすることは通常予想されるところであるが、同時に、原告がそのようにして製作した雨具を当該生地の支給を受けたテラシン「株式会社」または「株式会社」丸福商会に売り渡すこともまた当然であると考えられるのであつて、原告が右各取引先の信用を失うおそれをかえりみずそれ相応の手数と時間をかけて比較的少額の利益を追求するため他の雨具等販売業者にこれを売り渡したというには、テラシン「株式会社」ないし「株式会社」丸福商会が買取数量を限定して出目生地による製品等の買取りを拒んだことあるいは原告が他の雨具等販売業者に対して右各取引先の条件よりよい条件で出目生地による製品等を売り渡すことができたこと等の特段の事情があり、しかも右特段の事情(利益)が他の雨具等販売業者に対して出目生地による製品等を売り渡すことに伴つて生じる不利益を上まわるものでなければならない道理である。

そして、成立に争いのない乙第一二号証、証人北坂政之の証言、証人志村隆の証言(第一回)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、雨具の生地である原反から出目生地を出そうとしてもおおむね原反の三・五パーセントに当る出目生地を出すことができるにすぎず、しかも右出目生地を出すためには相当の技術と手間を要し、採算割れとならないように配慮しなければならないこと、および、テラシン「株式会社」および「株式会社」丸福商会は売り渡した生地によつて製作した雨具はすべて通常の価格で原告から買い取つていたので、原告がこれを他の雨具等販売業者に売り渡す必要はなかつたことがそれぞれ認められる。

そうだとすると、原告について右特段の事情があるということは到底できず、したがつて、原告がテラシン「株式会社」ないし「株式会社」丸福商会との各取引に際して出目生地を出し、これによつて収入を得たということができないことは明らかである。

2  原告と「株式会社」南海縫工所との取引きがいわゆる「生地支給」の形態をとるものであることは当事者間に争いがない。

このような取引形態の場合、原告がその技術と経験により支給された生地を効率よく裁断して出目生地を出し、これによつて特別の利益を得る余地があることはもちろんである。しかし、この場合においても、出目生地を出すには相当の技術と手間を要し、さらに出した出目生地を処分するなどして利益を得るためにはそれ相応の手数と時間がかかること、その結果原告が得る利益は比較的少額なものであるから採算割れとならないように注意しなければならないこと、およびその際原告が「株式会社」南海縫工所の信用を失うおそれがあること等は右1でみたところとなんら選ぶところがない。

そして、成立に争いのない乙第一号証、第一二、第一三号証、第一九号証、第二一号証、証人志村隆の証言(第一回)によつて真正に成立したとみられる甲第二号証、右乙第二一号証および弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる乙第二〇号証、証人北坂政之の証言、証人志村隆の証言(第一、第二回)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、原告が「株式会社」南海縫工所から支給された原反生地は主として富士ゴム化工「株式会社」製造にかかる有効幅一一六センチメートル以上、長さ平均九六メートル、色紺または黒の生地であつたが、実際の幅、長さは原反ごとにまちまちであり、また、その色は関西における一般の雨具の色(鉄紺色)と異なつていたこと、原告は右のような生地によつてスーパー型(一着分の生地の長さ約三・三メートル)、児島型(一着分の生地の長さ約三・四メートル)、吉野型(一着分の生地の長さ約三・二〇メートルないし三・二五メートル)の雨具を製造していたが、そのうち吉野型の雨具は約一五パーセントにすぎず、残りの約八五パーセントをスーパー型の雨具と児島型の雨具とでほぼ二分していたこと、および「株式会社」南海縫工所は原告に対し雨具のケースを自ら製作するため支給した生地から出た端ぎれの返還を求めていたので、原告は「株式会社」南海縫工所に対し年に一、二回まとめて端ぎれを返還していたことがそれぞれ認められる。

以上によれば、原告が「株式会社」南海縫工所から支給された生地のうちから出目生地を出すことは極めて困難であり、仮に出目生地を多少出したとしてもその出目生地またはそれを用いて製作した雨具等を処分することは容易でなかつたことが推認できるから、結局、原告が「株式会社」南海縫工所との取引きに際して出目生地を出し、これによつて収入を得たということはできない。

3  そうすると、昭和四〇年ないし昭和四二年において原告に別表第二、4各記載の雑収入があつたという被告の主張は失当として排斥せざるをえない。

七  つぎに、特別経費について判断する。

(昭和四二年分の特別経費について)

原告の昭和四二年分の特別経費のうち「その他」の特別経費が一、五三九、六二〇円であることは当事者間に争いがなく、訴外西浦美奈子に対する雇人費を除く雇人費が合計八〇六、〇〇〇円であることも原告の認めるところである。

成立に争いのない甲第一号証の一、二、乙第九号証、証人志村隆の証言(第一、第二回)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、原告が昭和三九年五月二九日から昭和四一年九月五日までの間および昭和四一年一〇月上旬から昭和四二年九月二七日までの間訴外西浦美奈子(訴外西浦明弘の妹)を雇傭していたこと、ならびに原告が訴外西浦美奈子に対し当時給料として一か月一八、〇〇〇円、ボーナスとして盆、暮れに合計三五、〇〇〇円をそれぞれ支払つていたことが認められる(なお、成立に争いのない乙第三号証は原告の雇傭していた訴外西浦美奈子とは別人(西浦美奈子)の戸籍の附票の謄本であり、また、成立に争いのない乙第一六号証によれば訴外西浦美奈子が原告方に同居していなかつたことが認められ、訴外西浦美奈子が原告方に同居していたという証人志村隆の証言(第一回)と齟齬することは明らかであるが、それだからといつて直ちに右認定が左右されるものではない。)。

右各事実によれば、原告が訴外西浦美奈子に対し昭和四二年一月から同年九月までの間給与として一か月一八、〇〇〇円合計一六二、〇〇〇円および盆のボーナスとして一七、五〇〇円をそれぞれ支払つたことが推認できる。

そうすると、原告の昭和四二年分の雇人費の合計は九八五、五〇〇円であり、したがつて原告の昭和四二年分の特別経費は合計二、五二五、一二〇円となることは計算上明らかである。

(昭和四〇年分、昭和四一年分の各特別経費について)

原告の昭和四〇年分、昭和四一年分の各特別経費は、右各年分の収入金額に昭和四二年分の特別経費率(昭和四二年分の収入金額で同年分の特別経費(ただし、次男志村隆に対して支払つた雇人費四二〇、〇〇〇円を控除したもの)を除したもの)を乗じて算出されるべきものであることは当事者間に争いがない。

そうすると、原告の右各年分の特別経費は次のとおりとなる(別紙計算書(九)参照)。

昭和四〇年分の特別経費 一、七九八、一一六円

昭和四一年分の特別経費 二、四九五、六一九円

八  原告の本件各係争年分の各事業専従者控除が別表第二記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

九  以上によれば、原告の本件各係争年分の事業所得の金額は次のとおりとなる。

昭和四〇年分の事業所得の金額 一、七八八、二七二円

昭和四一年分の事業所得の金額 二、二二一、八三八円

昭和四二年分の事業所得の金額 一、六〇六、八七七円

一〇  原告の昭和四〇年、昭和四一年中の各不動産所得にかかる総収入金額がそれぞれ三六四、〇〇〇円、六〇、〇〇〇円であることは当事者間に争いがない。

成立に争いのない乙第一四、第一五号証、第二六号証の一、二、第二七号証、証人二宮精四郎の証言によつて真正に成立したと認められる乙第四号証、証人二宮精四郎、同北坂政之の各証言、証人志村隆の証言(第一、第二回)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告は昭和三七年ごろ別紙目録記載の土地(以下本件土地という。)およびその上にある建坪約三〇坪の建物(以下本件建物という。)を買い受けたが、とくにこれらを使用することもなくそのまま荒れるにまかせていた。

2  訴外ビーシー橋梁「株式会社」は、原告から、昭和四〇年四月ごろ、ビーシー桁を製造し、その事務所、倉庫、作業員宿舎等に使用するため、本件土地、建物を賃借したが、その際、原告は約三〇、〇〇〇円を出損して本件建物の窓ガラスを入れ替え、畳替えをした。

3  原告は、その他本件土地建物の集金費等として昭和四〇年中に約三、〇〇〇円、昭和四一年中に約一、〇〇〇円を支出したが、本件建物の減価償却費としても相当な額を計上すべきである。

4  大阪府は、原告から昭和四〇年一二月二七日、いわゆる泉北ニユータウンの用地として本件土地を合計一、四五三、二〇〇円(一坪当り買収価格七、〇〇〇円、協力金一、四〇〇円)で買収したが、その際、少くとも形式的には本件建物についてなんらの補償もしていない。

そして、昭和四〇年、昭和四一年における堺市の固定資産税の税率は一〇〇分の一・四であり、都市計画税の税率は一〇〇分の〇・二であつた(地方税法第三五〇条、堺市市税条例(昭和四一年条例第三号)第三六条、同法第七〇二条の三、同条例第七七条参照)。

以上の事実と証人志村隆の証言(第二回)を総合すると、原告の昭和四〇年中の不動産所得にかかる必要経費は三八、〇〇〇円であり、昭和四一年中の不動産所得にかかる必要経費は六、〇〇〇円であると認めるを相当とする。

そうだとすると、原告の昭和四〇年分の不動産所得の金額が三二六、〇〇〇円であり、昭和四一年分の不動産所得の金額が五四、〇〇〇円であることは計算上明らかである。

一一  以上によれば、原告の本件各係争年分の総所得金額は、次のとおりとなる。

昭和四〇年分の総所得金額 二、一一四、二七二円

昭和四一年分の総所得金額 二、二七五、八三八円

昭和四二年分の総所得金額 一、六〇六、八七七円

一二  そうすると、被告が原告に対して昭和四四年二月一二日した本件各更正処分(ただし、昭和四六年六月八日裁決で一部取り消された後のもの)のうち右各総所得金額をこえる部分および本件各更正処分に附帯してされた本件各過少申告加算税賦課決定処分(ただし、昭和四六年六月八日裁決で一部取り消された後のもの)のうち右各総所得金額をこえる部分に対応する部分はいずれも違法として取消しを免れないものというべきである。

一三  よつて、原告の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石川恭 裁判官 増井和男 裁判官 春日通良)

別表第一

〈省略〉

以上

別表第二

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

以上

別表第三

(一) 納品書控え(甲第三号証)の計算が誤つているもの

〈省略〉

〈省略〉

(二) 納品書控え(甲第三号証)に計上されていないもの

〈省略〉

(三) 納品書控え(甲第三号証)と仕入元帳(乙第二八号証の一ないし八)とで金額の相違するもの

〈省略〉

以上

計算書(一)

1 昭和40年分仕入金額

昭和40年分収入金額×昭和42年分仕入金額/昭和42年分収入金額=昭和40年分仕入金額

すなわち、〈省略〉

2 昭和41年分仕入金額

昭和41年分収入金額×昭和42年分仕入金額/昭和42年分収入金額=昭和41年分仕入金額

すなわち、〈省略〉

以上

計算書(二)

1 昭和40年分の「その他」の一般経費

昭和40年分収入金額×昭和42年分の「その他」の一般経費/昭和42年分収入金額=昭和40年分の「その他」の一般経費

すなわち、〈省略〉

2 昭和41年分の「その他」の一般経費

昭和41年分収入金額×昭和42年分の「その他」の一般経費/昭和42年分収入金額=昭和41年分の「その他」の一般経費

すなわち、〈省略〉

以上

計算書(三)

1 昭和40年分雑収入

(一)(昭和40年分テラシン「株式会社」収入金額+昭和40年分「株式会社」丸福商会収入金額)×昭和42年分テラシン「株式会社」雑収入/昭和42年分テラシン「株式会社」収入金額=(昭和40年分テラシン「株式会社」雑収入+昭和40年分「株式会社」丸福商会雑収入)

すなわち、〈省略〉

(二)昭和40年分「株式会社」南海縫工所収入金額×昭和42年分「株式会社」南海縫工所雑収入/昭和42年分「株式会社」南海縫工所収入金額=昭和40年分「株式会社」南海縫工所雑収入

すなわち、〈省略〉

(三)(昭和40年分テラシン「株式会社」雑収入+昭和40年分「株式会社」丸福商会雑収入)+昭和40年分「株式会社」南海縫工所雑収入=昭和40年分雑収入

すなわち、〈省略〉

2 昭和41年分雑収入

(一)昭和41年分テラシン「株式会社」収入金額×昭和42年分テラシン「株式会社」雑収入/昭和42年分テラシン「株式会社」収入金額=昭和41年分テラシン「株式会社」雑収入

すなわち、〈省略〉

(二)昭和41年分テラシン「株式会社」雑収入=昭和41年分雑収入

すなわち、641.280=641.280(円)

3 昭和42年分雑収入

(一)昭和42年分テラシン「株式会社」納品数量(着)×(支給用尺(メートル)-実際用尺(メートル))×(1-ロス減耗分)×生地1メートル単価(円)=昭和42年分テラシン「株式会社」雑収入

すなわち、7.526×(3.4-3.1)×(1-0.1)×213=432.496(円)

(二)昭和42年分「株式会社」南海縫工所納品数量(着)×(支給用尺(メートル)-実際用尺(メートル))×(1-ロス減耗分)×生地1メートル単価(円)=昭和42年分「株式会社」南海縫工所雑収入

すなわち、2.686×(3.2-3.1)×(1-0.1)×213=50.182(円)

(三)昭和42年分テラシン「株式会社」雑収入+昭和42年分「株式会社」南海縫工所雑収入=昭和42年分雑収入

すなわち、432.496+50.182=482.678(円)

以上

計算書(四)

〈省略〉

(単位 円)

以上

計算書(五)

1 昭和40年分特別経費

昭和40年分収入金額×昭和42年分特別経費-原告の次男志村隆に対して支払つた雇人費/昭和42年分収入金額=昭和40年分特別経費

すなわち、〈省略〉

2 昭和41年分特別経費

昭和41年分収入金額×昭和42年分特別経費-原告の次男志村隆に対して支払つた雇人費/昭和42年分収入金額=昭和41年分特別経費

すなわち、〈省略〉

(注) 昭和42年分特別経費2.345.620円から原告が次男志村隆に対して支払つた雇人費420.000円を控除したのは、同人が昭和40年、昭和41年においては事業専従者であつて、同人に対して支払つた給与を雇人費ということはできないからである。

以上

計算書(六)

〈省略〉

(注) ゴム糊の価格のうちには、これを薄めるために使用される揮発油の価格を含む。

以上

計算書(七)

昭和42年分仕入金額

昭和42年分収入金額×仕入単価/収入単価=昭和42年分仕入金額

すなわち、〈省略〉

以上

計算書(八)

昭和42年分仕入金額

1 テラシン「株式会社」に納入する製品の仕入金額

昭和42年分納品数量(着)×1着当り材料費=昭和42年分仕入金額

すなわち、NGキヤリーコート等につき、9.292×128=1.189.376(円)

ナイロン紳士用上下

ナイロン婦人用上下

ナイロン合寸上下

ギヤバ紳士用上下

フジエツト紳士用上下

NGキヤリーコート紳士用上下

NGキヤリーコート婦人用上下

タフコートにつき 249×58=14.442(円)

ナイロンレインコートにつき、1.916×40=76.640(円)

合計 1.280.458(円)

2 「株式会社」南海縫工所に納入する製品の仕入金額

昭和42年分納品数量(着)×1着当り材料費=昭和42年分仕入金額

すなわち、2.638×128=337.664(円)

3 テラシン「株式会社」に納入する製品の仕入金額+「株式会社」南海縫工所に納入する製品の仕入金額=昭和42年分仕入金額

すなわち、1.280.458+337.664=1.618.122(円)

(注) なお、「テラシン「株式会社」に納入する製品の仕入金額」はテラシン「株式会社」に納入するすべての製品の仕入金額(材料費)を合計したものではない。

また、タフコート等の材料費のうちには糸、ゴム糊等の価格は含まない。

以上

計算書(九)

1 昭和40年分特別経費

〈省略〉

2 昭和41年分特別経費

〈省略〉

以上

目録

(一) 堺市深坂一四一五番の二一

宅地 四〇坪

(二) 堺市深坂一四一五番の二

宅地 一三三坪

以上

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